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日本初の航空殉職者の地

【トーショク通信】第117号

新所沢の不動産会社トーショクが発信する

所沢・不動産売却・トーショクの話


 こんにちは。トーショクの舞草亮です。少しずつ暖かくなってきて梅が咲いているのもけっこう見かけますね(早い桜も?)。

 

 先日、トーショクで若松町(航空公園のちょっと先。所沢聖地霊園の手前)の土地を買ったんです。

 

 その土地の近くを歩いているときに、日本で初めて飛行機が墜落して2人の若者が亡くなる事故があった場所へ立ち寄りました。

日本初の航空殉職者の地

 航空公園の駅からまっすぐに進み、右手に市役所や航空公園を見送り、ケーズデンキ、セブンイレブン、ゴルフ練習場、信号のとこのローソンを過ぎると所沢聖地霊園のバス停があるのわかります?

 

 バス停横の聖地霊園の第1駐車場(駅から行くと右手)のすぐ隣(駐車場の奥の方)に記念碑があります(上の写真)。

 

 初めてだとかなり接近しないとわかりにくいです。その横に事故についての説明看板があります。看板の内容をざっくり説明します。

『所沢市指定文化財(史跡)

 

     木村・徳田両中尉墜落地

 

木村さんと徳田さん2人の中尉(ちゅうい。軍隊の階級の一つ)が墜落した場所

 

 所沢市は明治44年(1911年)に日本初の飛行場が開設され、「航空発祥の地」として知られていますが、航空界初の犠牲者が出たのも、この所沢の地でした。

 

 大正2年(1913年)3月28日、陸軍省は航空機の重要性を説くため、貴族院・衆議院議員を対象に青山練兵場で観覧飛行を行いました。

 

 その帰路、木村中尉と徳田中尉の搭乗したブレリオ機は、午前11時59分、所沢飛行場を目前にして突風を受け左翼が折れて墜落、2人の中尉とも即死でした。

 

 事故現場は、旧松井村下新井柿木台(現在の所沢市下新井1381-4)にあたります。

 

 事故後、2人の中尉の記念塔を建てようとする運動がおこり、やまと新聞社が中心となって義援金を募集、墜落現場の土地を購入して、2人の中尉の銅像記念塔が建設されました。

 

 除幕式は一周忌にあたる、大正3年(1914年)3月28日に挙行されています。

 

 この銅像記念塔は、昭和4年(1929年)に所沢駅前に移され、さらに何度か移転を繰り返しましたが、昭和56年(1981年)に所沢航空記念公園内に移され、現在に至っています。

 

 銅像記念塔の移転後、両中尉の墜落地跡には、「木村・徳田両中尉殉職記念碑」が建立され現存しています。』(看板の内容おわり)

 

 つまり墜落地跡に現在ある記念碑は下の写真の記念碑です。

 記念碑の後ろには墜落地点と書かれた石があります。上の写真の奥にあるの見えますか?下の写真がアップです。

 

 記念碑の裏には、昭和4年当時、所沢陸軍飛行学校の校長先生だった古谷清先生の言葉が書かれています(飛行場だけでなく学校もありました)。

 

 書かれている内容はざっくり、昭和4年に2人の銅像記念塔が所沢駅に移転して、ここ墜落地点には記念碑を建てて、2人の中尉が殉職されたことを後世に伝えることが書かれています。

 ちなみに墜落地点の土地は、現在は所沢市が所有しています。新所沢の不動産売却でお役に立てることはありませんか?ご相談ください。相談は無料です。お待ちしています。

 

トーショク 舞草亮

 

追伸

もともと墜落地点に建てられ、今は航空公園にある2人の銅像の記念塔は、下の写真です。

新所沢からだと航空公園の一番遠い方の池の北側にあります。

近くで見ると2人の表情も感じることができます。

航空公園に行ったときに2人に会いに行ってみてはいかがですか?


トーショク

舞草 亮

まいくさ  りょう

 

1976(昭和51)年

10月1日生 辰年

177㎝77㎏(靴26.5㎝)

所沢出身

 

若草幼稚園 上新井小 小手指中出身。高校時代は毎日、新所沢の駅から学校に通っていました。子供のころは北所沢町にある剣道道場(マルハ啓道館)に通っていました。所沢では上新井、椿峰、山口、松葉町、東所沢に住んだことがあります。

 不動産歴23年。宅地建物取引士・2級ファイナンシャルプランニング技能士・不動産コンサルティングマスター。ちなみに上海で5年仕事をしていたので中国語(HSK6級・HSK口試高級)が少し話せます。




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