トーショクの所沢の歴史ゆかりの地~小手指ヶ原~
所沢で不動産をご所有の皆様へ
以前、小手指ヶ原古戦場に行ってきました(所沢市北野2丁目12-4)。新田義貞が鎌倉幕府軍と最初に戦ったのがここ小手指ヶ原です。
新田義貞(にったよしさだ)は知っていますか?ざっくり言うと鎌倉幕府を倒した人です。
小手指ヶ原古戦場の石碑の横にある案内板(上の写真)をざっくり解説します。
新田義貞は、1333年5月8日に今の群馬県南部でたったの150騎で挙兵します。むちゃくちゃ少ない人数ですね。
利根川を渡り鎌倉幕府を倒すために鎌倉街道を南下します。迎え撃つ鎌倉幕府軍は、鎌倉から出陣して北上します。
5月11日、両軍は小手指ヶ原で激突します(小手指ヶ原の戦い)。群馬県から南下してきた新田義貞と、神奈川県の鎌倉から北上してきた鎌倉幕府軍が、埼玉県所沢市の小手指付近で激突したってことですね(当時は県とか所沢市とかないですけどね)。
このとき新田義貞は、沿道の武士が加勢して20万騎になっていたと太平記に記されています。150騎から200,000騎ですよ。かなり味方が増えました。
その日は、勝敗はつかなくて両軍がいったん引きます。その後、新田義貞は久米川の戦いや分倍河原の戦いで鎌倉幕府軍を敗走させ、鎌倉まで進軍します。そして、挙兵からわずか2週間の5月22日、鎌倉幕府を滅亡させます。
新田義貞ってすごいですよね?そのわりには知名度が低い気がしませんか?
小手指ヶ原古戦場の石碑があるのは、北野中学校のすぐ西側ですが、当時は一面の原野で、北は入曽(狭山市)から藤沢(入間市)あたりまでがその範囲だったそうです。ちなみに私は小手指中学校出身です。校歌の中に「小手指ヶ原に 雲のかげ」という歌詞がありました。
石碑の後ろにある小高い塚(左上の写真の左奥。左上から2番目の写真は塚の入口)は、「白旗塚」と呼ばれ、源氏の末裔(まつえい)である新田義貞が、ここに陣を張り、源氏の旗印とされる白旗を立てたと言われています(右上の写真あたりでしょうか?)。
他にも「誓詞橋」「勢揃橋」「椿峰」「兜掛けの松」 「将軍塚」など所沢周辺にはこの戦にちなんだ史跡や地名がたくさん残っています。知っていましたか?
また、所沢周辺にはトーショクが創業以来41年の歴史で、売却のお手伝いをしてきた7,500件以上の不動産もあります。お役に立てることはありませんか?お気軽にご相談ください。相談は無料です。お待ちしています。
トーショク 舞草亮
トーショク
舞草 亮
まいくさ りょう
1976(昭和51)年
10月1日生 辰年
177㎝77㎏(靴26.5㎝)
所沢出身
若草幼稚園 上新井小 小手指中出身。高校時代は毎日、新所沢の駅から学校に通っていました。子供のころは北所沢町にある剣道道場(マルハ啓道館)に通っていました。所沢では上新井、椿峰、山口、松葉町に住んだことがあります。
不動産歴23年。宅地建物取引士・2級ファイナンシャルプランニング技能士・不動産コンサルティングマスター。ちなみに上海で5年仕事をしていたので中国語(HSK6級・HSK口試高級)が少し話せます。
〈ご来店〉

所沢市松葉町15-12

〈お電話〉
0120-104-493
〈メール〉

コメントをお書きください