· 

所沢の歴史の舞台『小手指ヶ原』に行ってきました

【トーショク通信】第76号

新所沢の不動産会社トーショクが発信する

所沢・不動産売却・トーショクの話


 小手指ヶ原古戦場に行ってきました(所沢市北野2丁目12-4)。新田義貞(にったよしさだ)は知っていますか?ざっくり言うと鎌倉幕府を倒した人です。

 

 新田義貞が鎌倉幕府軍と最初に戦ったのがここ小手指ヶ原です。小手指ヶ原古戦場の石碑の横にある案内板をざっくり解説します(上の写真)。

 

 新田義貞は、1333年5月8日に今の群馬県南部でたったの150騎で挙兵します。利根川を渡り鎌倉幕府を倒すために鎌倉街道を南下します。迎え撃つ鎌倉幕府軍は、鎌倉から出陣して北上します。

 

 5月11日、両軍は小手指ヶ原で激突します(小手指ヶ原の戦い)。このとき新田義貞は、沿道の武士を加え20万騎になっていたと太平記に記されています。

 この日は、勝敗はつかなくて両軍がいったん引きます。その後、新田義貞は久米川の戦いや分倍河原の戦いで鎌倉幕府軍を敗走させ、鎌倉まで進軍します。そして、挙兵からわずか2週間の5月22日、鎌倉幕府を滅亡させます。

 

 新田義貞ってすごいですよね?そのわりには知名度が低い気がしませんか?ちなみに私は小手指中出身です。校歌の中に「小手指ヶ原に 雲のかげ」という歌詞がありました。小手指ヶ原古戦場の石碑があるのは、北野中のすぐ西側ですが、当時は一面の原野で、北は入曽(狭山市)から藤沢(入間市)あたりまでがその範囲だったそうです。

 

 石碑の後ろにある小高い塚(2番目の写真の左奥)は、「白旗塚」と呼ばれ、源氏の末裔(まつえい)である新田義貞が、ここに陣を張り、源氏の旗印とされる白旗を立てたと言われています。

 

 他にも、所沢周辺には「誓詞橋」「勢揃橋」「椿峰」「兜掛けの松」 「将軍塚」などこの戦にちなんだ史跡が残されています。知っていましたか?


トーショク

舞草 亮

まいくさ  りょう

 

1976(昭和51)年

10月1日生 辰年

177㎝77㎏(靴26.5㎝)

所沢出身

 

若草幼稚園 上新井小 小手指中出身。高校時代は毎日、新所沢の駅から学校に通っていました。子供のころは北所沢町にある剣道道場(マルハ啓道館)に通っていました。所沢では上新井、椿峰、山口、松葉町に住んだことがあります。

 不動産歴11年。宅地建物取引士・2級ファイナンシャルプランニング技能士・不動産コンサルティングマスター。ちなみに上海で5年仕事をしていたので中国語(HSK6級・HSK口試高級)が少し話せます。




〈ご来店〉

お気軽にご来店ください!
お気軽にご来店ください!

所沢市松葉町15-12

お気軽にご来店ください!
お気軽にご来店ください!

〈お電話〉

0120-104-493

〈メール〉

メモ: * は入力必須項目です