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美原の地と美原小学校について勉強しました

【トーショク通信】第4号

新所沢の不動産会社トーショクが発信する

所沢・不動産売却・トーショクの話


 明治44年、日本初の飛行場『所沢飛行場』ができました。ここから、日本の飛行機の歴史が本格的に始まりました。美原小学校はその跡地に建っています。

 

 第2次世界大戦の後に多くの人がこの地を開拓し、街がつくられてきました。しばらくは、雨が降ると砂川堀からあふれた水が街を覆い、池のようになり大変な苦労があったとのことです。しかし、その都度地域の人々が船を出したり、道路や水の流れをよくするためにいろいろな努力をしたりしながら今日に至りました。

 

 この地域はもとは、『倶美原(ともみがはら)』という名前で呼ばれていました。『倶』は、『ともに、いっしょに、つれだつ』等の意味があります。つまり、『みんなが仲良く協力し合って、この土地を美しい土地にしよう。』という願いが込められた名前でした。

 

 その後、語呂をよくして『美原』という名前になったとのことです。昭和48年の行政区画により「美原」という地名が誕生しました。

 

 そして、昭和50年にこの地に小・中学校ができたので、この美しい響きを生かし『美原小学校』という名前が付きました。

 

 『美原小学校』この名前には、苦労してこの地を拓かれた多くの人々の夢や願いなどが込められています。(以上、美原小学校ホームページより)

 

 50年前、60年前から新所沢に住んでいる方からはよく「この辺はなんにもなかった」ってよく聞きます。苦労して新所沢を開拓してくれた多くの方々に感謝しかないですね。またそのことを教えてくれた美原小学校ホームページにも感謝です。ありがとうございます。

 

 ちなみに『新所沢』駅が現在の場所に移転してきたのは昭和26年(1951年)です。もともと別の場所にあった「所沢御幸町駅(さらにもっと前は所沢飛行場前駅)」を「北所沢駅」と改称して現在の場所に移転した経緯があり、駅名が『新所沢』駅となったのは昭和34年(1959年)です。


トーショク

舞草 亮

まいくさ  りょう

 

1976(昭和51)年

10月1日生 辰年

177㎝77㎏(靴26.5㎝)

所沢出身

 

若草幼稚園 上新井小 小手指中出身。高校時代は毎日、新所沢の駅から学校に通っていました。所沢では上新井、椿峰、山口、松葉町に住んだことがあります。不動産歴11年。宅地建物取引士・2級ファイナンシャルプランニング技能士・不動産コンサルティングマスター。ちなみに上海で5年仕事をしていたので中国語(HSK6級・HSK口試高級)が少し話せます。


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